ニュージーランドから帰ってきちゃいました

ジーランドでの約1年留学し終わったの大学生です。
帰国後は、普段思ったことをつらつら書いていこうと思います。

夫婦別姓について



 最近忙しいけれど、これについてだけちょっと自分の意見を言いたいと思う。


 私は、夫婦別姓制度賛成派だ。
 男性か、女性かどちらかが相手の名字を変える必要はないと思う(まあ大概の場合は、女性が名字を変えるのだが。大学で配布された資料によれば約95%は、女性が男性の名字に変えているとのことである)


 浅薄な知識なので、間違っているところもあるかもしれないが、
そもそも男性の名字に変えるのは、 戸籍や元々の日本社会のシステムが「家父長制」だからである。
男性が、家庭の頂点に立つという考えという訳だ。


確かこの考えは、明治時代から第二次世界大戦ごろに特に強い影響力があったと思う。



 だけれど、第二次世界大戦が終わり、日本が高度経済成長期を迎えると、日本社会の家族システムが変化していく。
つまり、以前は [EXTEND FAMILY](授業を英語でやっているので、日本語に対応した単語が直ぐに出てこなくて申し訳ないですが)(要するに、おばあちゃんおじいちゃん世代をいれた家族構成)が主流だったのですが、
経済発展を遂げるにあたり、「核家族」化(子供と両親だけ)、もっと更にいえば核家族だけでなく更に多様な家族形態が生まれはじめたわけです。(子供がいる結婚していないカップルとか、同性カップルとかそのような)


 つまり、以前の日本の典型的な家族スタイルは「サザエさんスタイル」のものだったわけですが、
それが時代の潮流により多様化してきたという訳です。



 そう考えると、「絶対的な家族の形」というのはどこにもありませんよね。
「こうでなければならない」「こうしなきゃいけない」というような、決まった家族形態などどこにもないのです。


 家族形態というのは、その時代の社会によって、経済状況によって、当然のごとく変化していきます。


 私の意見としては、家族の形態が変わっていくなかで「夫婦同姓」にこだわる必要も無いと思うのです。




 私の友人の一人は、「夫婦別姓」が結婚の形骸化に繋がるという意見を述べました。
すごく興味深い意見だなと思いました。



 つまり、夫婦別姓にすることで、結婚は形だけのものになってしまうという訳です。




 でも、それでは、「結婚」とは何でしょうか?
名字を変えれば、それで結婚なのでしょうか?
子供を産むことが、結婚の意味なのでしょうか?
何が、結婚を結婚たらあしめるのでしょうか?



 以前、私は別の授業で 
アメリカ支配によって、ハワイ原住民のアイデンティティは”失われてしまったのか”どうかということを話しました。


その際に、ある女子生徒が言いました。「私の両親は日本人。けれど、私はハワイに生まれてハワイで育った。今、日本社会に戻っても、日本社会は私を日本人として受け入れてくれない。私としても、自分は日本人の地が流れているけど、自分をハワイ人だと思っている」と。


また、その授業の先生が言いました。「この中で日本人学生はいるか?その中で、浴衣を一人できちんと着れる人は何院いる?(3人ほどしかあげない)わかった。けれど、君たちは日本の伝統衣装である浴衣を着れないとしても、自分のことを[私は日本人]だと主張するだろう」と。


 つまり、血や行為によって自己のアイデンティティは決めることが出来ないのだと私は感じました。
私は、その授業のレポートで
「Our Identities cannot be determined by what we can do or what you have like blood.
 Rather, we can determine our identities by our spirits. 」(下手な英語であることはご勘弁を)
と私の意見を書きました。


自身のアイデンティティは、自分で決めていいというのが私の意見です。
自分の心に従って決めるべきだということです。


又、別の授業で「無国籍」の人達のアイデンティティを学びました。
そこで教授は、「アイデンティティとは、つまり日本語でいうと帰属意識。君たちが、一体どこに”属していたい”のかが重要なのだ」と言っていました。



話はそれましたが、
これは結婚の話にも繋がると思います。


結婚を結婚たらしめるのは、形式や慣習といったものではありません。
極論を言ってしまえば、他人から、他から決定されるものではないと思います。



お互いが、お互いを愛しているか  それだけに尽きると思うのです(これまた極論ですが)



だから、夫婦別姓というカタチが無くなったとて、
結婚というものに大した影響は及ぼさないはずだと、私は考えています。



















俺の子供を産んでくれ、っていう言葉


 ふと考えたことを記していこうと思います


「俺の子供を産んでくれ、っていう言葉」


 この言葉ってたまに聞きませんか。
 確か犬夜叉にでてきた弥勒様がよく珊瑚ちゃんによく言ってた言葉だったと思うんですけど。
 (弥勒様が言う場合は、一人称は私でしたけど)
 つい最近、この言葉を思い出して、この言葉に対して違和感を感じました。
 つまり、「俺」って言ってるけど、実際生まれてくる子供は「俺」だけじゃなくて「私」の子供でもあるじゃないか、
って思ったのです。
 それなら、「俺達の子供を産んでくれ」って言葉の方が”正しく”ないか?と思ったわけです。
 でも、この言葉になんか言葉の語呂に違和感があるなあとも思います。
 別に、この言葉を発した弥勒様を批判するわけではないです。
 それよりもむしろ、一体どういう背景思想があってこのフレーズが生まれたのかっていうことが気になります。
 たまに、女性に対して「お前の腹をかりるだけだ」っていう表現も聞いたことありませんか。
 この言葉「お前の腹をかりる」と例の言葉「俺の子供を産んでくれ」の根底に共通の思想があるような気が私はします。
 勝手なイメージなんですが、戦国時代とか江戸時代の大奥とか、、、
 女の人は、男性の世継ぎを産むための存在、っていうか。
 本当にただそれだけの存在としか見られていなかった、みたいな。


 でも思想は時代によって変わりますよね。
 明治時代に、与謝野晶子かな。(いやもう大正になってたかな)
 子供を産むためには、男性の精子も女性の子宮のどちらも必要なんだから、
 それにおいて男女は平等だろ!って主張したの。


 うむ、それも確かに。


 私個人的には、やっぱり女性を男性と出来るだけ同じように扱って欲しいという考えがあります。
 そこから考えると、やっぱり「俺の子供を産んでくれ」とか「腹をかりるだけ」っていう表現には抵抗を感じます。
 まあでも、この言葉自体を批判してもしょうがないんですよね。
 それよりも、何故このような言葉があるのか、その時代の男女に関する考えは如何なるものだったのかを考えるべきだと思います。



 少し話はとびますが、現代の女性の日本社会での在り方を考える機会が多くなりました。
 やっぱり、女性が会社の総合職につきながら育児子育てを続けていくのは大変なことだと思います。
 安倍政権は、女性を労働力とみなして女性の更なる”日本社会への進出”(日本社会の進出って言葉も少し変ですね。
それでは、今まで女性は社会に出てなかったのかという話になりますし。人間は誰しも社会の中に生きてますもんね)を目指していますよね。
 まあ社会体制の変革も勿論大事だと思います。
 けれど、同時に思想・考え方の変革も大事だと思います。
 日本には、まだ「家のことは女性がすべき」という考えがあります。(まあこの考えを徹底的に批判するつまりは私に無いのですが。人の意見はそれぞれだし)


 でも、もし本当に女性を総合職につけて長期間会社で働かせたいと思うならば、
やっぱり「家のことは女性がすべき」という考えは改めるべきだと思います。
そうでなければ、あまりにも女性への負担が大きすぎます。
仕事もやりながら、家事(料理洗濯掃除)に両親の介護、子育てをするなんて不可能です。
男性も積極的にそれらに参加していくべきです。


 社会の状況が変わってきているのならば、それに合わせ柔軟に思考を変えていくべきだと私は思います。







私の将来の展望を考えてたら、少子化問題にまで発展してったお話。


 久々に記事を書きます。
 今私は、留学もあと2か月、、、とのことで、帰国後にインターンシップをするためにインターンの応募準備をしているところです。


 
 インターンシップの応募準備をする中で、私はたくさん自分の将来のことについて考えました。いったい、私はどんな仕事に就きたい、就けばよいのだろうということです。


 そういえば、幼稚園の頃の将来の夢は 看護師さんか体操の選手でした。何故看護師さんを目指したのかはもう覚えていmさえんが、体操選手になりたかった理由は覚えています。その当時、私は鉄棒が大好きだったからです。


 小学校・中学校の時の夢は小説家でした。小学生の時、一番仲の良かった友達に 青い鳥文庫 夢水清志郎シリーズを進められのめりこむように夢中になったことが原因でした。今考えると、私の読書生活というのは、ここが原点なのかもしれません。


 そして、中学校から高校生に上がる時に 小説家になるためには何が必要かを深く考えました。そして、出した結論は 膨大で幅広い知識と経験 が小説を書く上で一番大事なことではないか、ということです。そこで、私は科目という枠組みにとらわれず様々なことについて臆せず勉強しよう、ということを決意しました。  今考えると、この決意が大学受験の際の学部選択に繋がっていると思います。



 そして、高校生・大学1年生の頃は、国際機関への就職を考えました。 日本には、たくさん私が好きな人がいる。その彼らがこれからも安心して、安全な暮らしを日本で出来るように尽力しようと考えたのです。


そして、大学3年生の今。約1年間の留学を通して考えたことは、日本社会に貢献できるようなことをしたい、ということです。


外国に約1年間暮らして、私が感じたことは 母国日本がなんて良い、住みやすい国なのだろうということです。私は留学前よりも更に日本のことが大好きになりました。そして、一方でこれから日本社会が立ち向かわなければならない問題はたくさんあるということを更に実感しました。私が思ったのは、その問題を解決できるような人材になりたいということです。



ここまでは、将来の私の目標といいますか、生涯を通してやり遂げたいこと、です。
そして、一方で自分の将来についてもっと現実的に考えてみました。




私は将来、可能であれば 3人の子供達を育てたいと思っています。
3人、というのは理由があって、日本の(日本だけじゃないのかな)人口置換比率が2.08だからです。


なので、3人という数が妥当だろうという考えなのですが、、、。
正直、現実的に考えて2人が限界だろうなということは痛感しております。



将来、子供たちに十分な教育の機会を与えたいと思っています。もし彼らが望むなら留学だってさせてあげたい。
けれどそれを考えると、やはりお金はかなりかかってくるでしょう。



それを考えると、やはり将来的にかなりお金を稼いでいなければなりません。
更に、3人の子供をいつ出産するのか、ということ。
3人の子供達を子育てしている時に、私は仕事をどうすればいいのかということ。



沢山考えました。


子供への十分な教育費→大量のお金が必要
3人の子供の出産時期→20代後半から10代前半 
(以前、某漫画を読んだ際に見つけたのは女性の体は35歳を過ぎてから急激に子供を産みにくくなるとのこと。
おそらく受精が簡単ではなくなる)
3人の子供の子育て期間→、、、?
(私は1人っ子だったのですが、やはり小学校の頃までは母に家にいてもらいたいと子供ながらに思っていました)




こう考えると、やはり給料が高いところに就職したいと思うのです。将来的にも。更にいうなれば、年功序列などなく、若いうちに実力でお金を稼げるところ。(そうなると、やはり外資か商社、、、?)



ここまで考えて、同時に私は 日本社会の少子化問題が如何に深刻かが徐々に解ってきました。



要するに、日本は資本主義を中心に回っている。
資本主義である以上、身の回りのものすべてが商業化されていくのは当然のことです。(例えば、教育)
そうなった以上、昔よりも更に 社会からお金を出すことが要求されています。

更に、昔よりも女性の就学率・大学卒業率が上がり、女性が社会にどんどん進出するようになっている。



しかし、日本の社会にはまだ
年功序列の給料制度が根深く残っている。
(つまり長くその会社に勤めていなければいくら結果をだしても給料に繋がらない)
女性の出産・子育てをサポートする制度がまだ整っていない。(女性は家事をする、という性差別の概念から)
(女性は結婚すると直ぐやめてしまうから、昇進が男性よりしにくい。
子供を産んで子育てを終えても、元いた会社に戻れない、、、等)




 まとめると、
 女性は以前に比べて社会に進出するようになっている。
しかし、社会制度はそれに追いつかず いまだに女性が長期間働けるような仕組みが整っていない。
何故なら今までの仕組みは、子供を出産したりしない男性に適した仕組みだったから。


一方で、資本主義は進み、人間生活をする上で更にお金が必要になってくる。
つまり、子供を一人前に育てるまでに今まで以上にお金がかかってくる。
(故に男性の給料だけでは足りず、女性も働く必要がでてくる)



ごちゃごちゃしてしまいましたが、端的にいうと
世界は変わり続けているのに、日本社会の仕組みはその変化に追いついていってない、ということです。



その結果、生まれたのが少子化という問題ではないでしょうか。


少子化っていう問題は根深いです、本当に。



私は、少子化は 女性が安心して出産・子育てが出来ないから生まれた問題だと思うのです。



一部では、日本の少子化に対して、移民を増やすことで解決しようという提案があります。
しかし、私は強く反対します。



理由の1つは、それは根本的な原因の解決になっていないからです。
移民で、足りなくなった労働力を補おうとしても、それで少子化がストップするわけではないのです。



もう1つの理由は、移民の受け入れ拡大で起きる問題を軽視しすぎているからです。

私が留学しているニュージーランドというのは、そもそもが移民国家です。
最初にマオリ人がニュージーランドを支配し、次にイギリスが移民し、
現代ではアジア人がたくさん移民してきています。
しかし、そもそもが移民国家であるにも関わらず、民族間で起こる人種差別は根深く残っています。
私は実際にそういうものをじかに目にしてきました感情的な人種差別から、社会制度における人種差別まで。



日本は歴史的にもみて、移民国家であるとはいい難いです。勿論、外国人もいますが、基本的に日本語を話す日本人が住んでいる訳です。
そこで、移民の受け入れを拡大すれば、それに関する問題が多発するでしょう。その問題は簡単に解決できるものではありません。多民族国家であるニュージーランドでも苦戦しているのですから、日本では更に苦戦するのが目に浮かんできます。





長くなりましたが、結局こんなことを考えていたらインターンの枠組みを超えて日本の社会問題にまで発展してしまいました。そろそろ大学に行かなきゃ、、、。



でも、思ったのは、私がこのような女性に関する日本の社会問題を解決できる一助に将来なれたらなと思います。