ニュージーランドから帰ってきちゃいました

ジーランドでの約1年留学し終わったの大学生です。
帰国後は、普段思ったことをつらつら書いていこうと思います。

俺の子供を産んでくれ、っていう言葉


 ふと考えたことを記していこうと思います


「俺の子供を産んでくれ、っていう言葉」


 この言葉ってたまに聞きませんか。
 確か犬夜叉にでてきた弥勒様がよく珊瑚ちゃんによく言ってた言葉だったと思うんですけど。
 (弥勒様が言う場合は、一人称は私でしたけど)
 つい最近、この言葉を思い出して、この言葉に対して違和感を感じました。
 つまり、「俺」って言ってるけど、実際生まれてくる子供は「俺」だけじゃなくて「私」の子供でもあるじゃないか、
って思ったのです。
 それなら、「俺達の子供を産んでくれ」って言葉の方が”正しく”ないか?と思ったわけです。
 でも、この言葉になんか言葉の語呂に違和感があるなあとも思います。
 別に、この言葉を発した弥勒様を批判するわけではないです。
 それよりもむしろ、一体どういう背景思想があってこのフレーズが生まれたのかっていうことが気になります。
 たまに、女性に対して「お前の腹をかりるだけだ」っていう表現も聞いたことありませんか。
 この言葉「お前の腹をかりる」と例の言葉「俺の子供を産んでくれ」の根底に共通の思想があるような気が私はします。
 勝手なイメージなんですが、戦国時代とか江戸時代の大奥とか、、、
 女の人は、男性の世継ぎを産むための存在、っていうか。
 本当にただそれだけの存在としか見られていなかった、みたいな。


 でも思想は時代によって変わりますよね。
 明治時代に、与謝野晶子かな。(いやもう大正になってたかな)
 子供を産むためには、男性の精子も女性の子宮のどちらも必要なんだから、
 それにおいて男女は平等だろ!って主張したの。


 うむ、それも確かに。


 私個人的には、やっぱり女性を男性と出来るだけ同じように扱って欲しいという考えがあります。
 そこから考えると、やっぱり「俺の子供を産んでくれ」とか「腹をかりるだけ」っていう表現には抵抗を感じます。
 まあでも、この言葉自体を批判してもしょうがないんですよね。
 それよりも、何故このような言葉があるのか、その時代の男女に関する考えは如何なるものだったのかを考えるべきだと思います。



 少し話はとびますが、現代の女性の日本社会での在り方を考える機会が多くなりました。
 やっぱり、女性が会社の総合職につきながら育児子育てを続けていくのは大変なことだと思います。
 安倍政権は、女性を労働力とみなして女性の更なる”日本社会への進出”(日本社会の進出って言葉も少し変ですね。
それでは、今まで女性は社会に出てなかったのかという話になりますし。人間は誰しも社会の中に生きてますもんね)を目指していますよね。
 まあ社会体制の変革も勿論大事だと思います。
 けれど、同時に思想・考え方の変革も大事だと思います。
 日本には、まだ「家のことは女性がすべき」という考えがあります。(まあこの考えを徹底的に批判するつまりは私に無いのですが。人の意見はそれぞれだし)


 でも、もし本当に女性を総合職につけて長期間会社で働かせたいと思うならば、
やっぱり「家のことは女性がすべき」という考えは改めるべきだと思います。
そうでなければ、あまりにも女性への負担が大きすぎます。
仕事もやりながら、家事(料理洗濯掃除)に両親の介護、子育てをするなんて不可能です。
男性も積極的にそれらに参加していくべきです。


 社会の状況が変わってきているのならば、それに合わせ柔軟に思考を変えていくべきだと私は思います。







×

非ログインユーザーとして返信する